自己は完成している

自分には何かが足りないと感じるだろうか。
知能や体力かもしれない。経済力かもしれないし、優しさかもしれない。

現実的には不可能だが、仮に社会とのつながりを全て完全に断ち切れたとしたら、と考えてみる。

すると、足りない、欠けていると感じていたあらゆるものが、消えてしまう気がしてくる。
自分は既に満たされ、完成した存在のように感じられる。

完成された自己というのは、あくまで空想のものだが、人に足りなさを与え感じさせるのは、自分ではなく他者であることがわかる。

では、自分は何をすべきだろうと考える。
すでに自己は完成され、満たされている。つまり、何も欲す必要がない。

欲すことがないなら、自然と与える側になる。与えようと意識するしないに関わらず、ただ在るだけで与える側になるだろう。

もっと、という声が聞こえるが、それは自分の声じゃない。

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