”様式美”をWeblio辞書で調べる。
様式の美しさを重んじるあり方。建築などにおける特定の流派のスタイル。
では、”様式”とは。コトバンクには以下のようにある。
1 ある範囲の事物・事柄に共通している一定の型・方法。スタイル。「古い様式の家具」「書類の様式」
2 ある時代・流派の芸術作品を特徴づける表現形式。「飛鳥様式を模倣する」「様式美」
3 習慣・約束などで定められたやり方。「生活様式」「行動様式」
様式の美しさとは、芸術や建築などの物に限らず、振る舞いにも言えることがわかる。”お約束”みたいなことだ。
なぜそこに美しさを感じるのだろう。
これは、研ぎ澄まされた日本刀やピタゴラスイッチのギミックを見たときに感じるものと同じように思う。
ある目的を追求するために出来る限り無駄を排した構造は、機能美を持っている。初めからそうであったかのような必然性を感じさせる。過去から現在に向かう途中、その長いプロセスの中で最適なものがひとつ選ばれてここにあるという必然性だ。
さて”決まりごと”と言えば、国の法もそうだ。
例えば日本には賭博罪(刑法185条・186条)がある。
1 偶然の勝敗による
2 財物または財産上の利益について
3 得喪を争うこと
近年、カジノが合法化された。いくつかの新しい法が作られ、その上でカジノは違法ではなくなった。そもそも競馬や競艇などの国営ギャンブルが存在しているのだから、今更何をという気もする。
これが示すのは賭博そのものに罪の性質があるのではないということ。国営ギャンブルは国益になり、国益は公共の福祉を実現する。
また、民間のギャンブルであってもパチンコ店は合法である。三店方式という仕組みが合法性を担保していると考えられている。
1 パチンコ店:客に現金ではなく特殊景品を渡す
2 景品交換所(古物商):特殊景品を現金で買い取る
3 景品卸業者(問屋):景品をパチンコ店に卸す / 回収する
パチンコ店で直接現金を渡していないから賭博ではないというロジックである。実質賭博であることは明白だが、摘発されないのは業界が警察と密接な関係を持っているからともされる。
そこにあるのは、”実質”と”建前”の乖離だ。
(ただ、実は最高裁が正面からこれを合法 / 違法を判断した判例は無いらしい。グレーのまま放置というのが現状の表現として適切かもしれない。)
日本には、礼節や作法を重んじる文化がある。”型”や”マニュアル”として定めたものに従うことを重要視している。実体が伴わない段階であっても「まず形式を守れ」とする。
形式を守ることの合理性としては、効率の良さや公平性などが考えられる。型に従うことで、やがて実体が付いてくるという”逆向きの教育”的な考え方もある。
形式主義の習慣化が形骸化を生む。それが現在に蔓延した”実質”と”建前”の乖離であり、それはすでに実体を伴わない不自然さ・非効率さ・不自由さ・抑圧などの象徴になっている。
改めて、日本は極めて建前社会である。
これは、人間の自立性や創造性を信用せず、逸脱を恐れ、全てをマニュアル化しようとする社会。「型を守らせれば正しくなる」という過度な形式主義は、性悪説的な発想に支配されていると考えられる。
もはや様式美ではなく、様式醜とでも言えるものがそこにある。
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